少子高齢化が進行するにしたがい、日本の国内市場は縮小していくことが見込まれています。そこで、政府は新しい資本主義を実現するために「スタートアップ育成5か年計画」を決定しました。終戦直後のベンチャーブームが日本経済を復興させたように、新たなベンチャーブームを起こすことで持続可能な経済社会を実現しようという壮大な挑戦です。その「スタートアップ育成5か年計画」決定から1年、見えてきたのは「人材」という大きな壁でした。「スタートアップ×人材」シリーズは、官公庁、スタートアップ企業、アカデミアから有識者をお招きし、プロフェッショナル人材領域にフォーカスしてご意見を伺う連載です。

シリーズ第1回目は官公庁である経済産業省です。同省は現在、事業化に研究開発が伴うスタートアップ(ディープテック・スタートアップ1)への支援を強化しています。スタートアップへの人材の流動性を高め、資金を投入し、新しい事業に挑戦するプレーヤーを作っていくことが、日本の経済成長への追い風になるからです。個々の人材や彼らの経験をどう活かすか。成長のためにもっと注力すべき部分はどこか。同省産業技術環境局技術振興・大学連携推進課 上田 夏生 氏をお招きしてお話を伺います。

なお、本文中の意見に関する部分については、筆者の私見であることをあらかじめお断りいたし ます。 

対談者

経済産業省 産業技術環境局 技術振興・大学連携推進課 
上田 夏生 氏

あずさ監査法人 常務執行理事 
企業成長支援本部 インキュベーション部長 
阿部 博/パートナー

Point

  • ユニコーンクラスのスタートアップを創出するには、起業家、CxOクラスの人材、管理や営業といった現場レベルの人材、スタートアップなどを支援する人材の4つの属性が必要である。現在、経済産業省では一連の政策で、スタートアップに人材が流入する機運を高めようとしている。
  • 経済産業省では、ディープテック・スタートアップ支援という文脈で、「個々のスタートアップを強くする」、「スタートアップの発射台を高くする」ための政策に取り組んでいる。
  • スタートアップの報酬体系が変われば、人材の流動性も高くなる。ストック・オプション制度の普及によって、リスク許容度の高いイノベーターやアーリーアダプターは獲得しやすくなったが、そうでない人材を獲得するならばサラリーベースで高い報酬を提示する形も必要となる。
  • ディープテック・スタートアップ領域では、通常のスタートアップよりも事業化に長い時間を要する。ビジネスから遠い研究開発段階の資金や事業拡大フェーズにおける資金を確保できる環境作りが重要。

Ⅰ自発的に「 参加したい」と思えるスタートアップづくりで、人材を 集める

阿部:

今回は、現在のスタートアップ人材に足りないものをいかに補うかについて、国の立場からご意見をお伺いしようと思っています。まず、私はスタートアップ人材には3 つの属性があると考えています。CxOクラス、管理や営業といった現場レベルの人材、そして大学発スタートアップなどを支援する人材です。日本にはいずれの人材も不足していると思っています。

対談

経済産業省 産業技術環境局 技術振興・大学連携推進課 上田 夏生 氏
 

上田:

その3属性に加えて、もう1つ付け加えるならば起業家もいます。

彼らは広い意味ではCxOクラスに含まれますが、社内起業家も含め起業家を増やしていく、伸ばしていくことも重要です。今、我々の施策のなかでは、いかに起業家を発掘するか、発掘した起業家を育成していくかが肝になっています。

特に、我々の政策はディープテック・スタートアップ、つまり事業化に長期の研究開発と多額の資金を要するスタートアップを主なターゲットとしています。ディープテック・スタートアップは、将来展望をしっかりと固めながら進めていくことが求められますし、技術を理解したうえでビジネスに展開していくという、二重の難しいポイントがあります。そうしたことができる人材の発掘、育成は重要なイシューだと思っています。

また、CxOクラスの人材はまだまだ足りていないように思います。ただ、外資系銀行やマーケティング関係のコンサルティング会社を経験されてCFOやCMOとしてスタートアップに入られるという事例も出てきていますので、そういう事例をいかに増やしていくかが、今後も重要なポイントとなるでしょう。

現場レベルも同じです。会社として成長していくには、たとえば、単に「製品が100 個できました」というレベルを超えて、たとえば1万個のプロダクトを安定したQCD で製造、販売しなければならない。それを実現できる人材をどう確保するかは重要なポイントですが、それができる人材をスタートアップのなかでゼロから育成するというのは現実的ではありません。そういった方々をディープテック・スタートアップが獲得するには、転職市場のなかでそういう動きを作っていく必要があると強く感じています。

阿部:

この課題の裏には日本人のマインドがあると思います。伝統的に終身雇用が根付いていて、スタートアップに転職すると言うと家族が怒るとか、配偶者が止めるとか。簡単に変えられないと思いますが、こうしたマインドを変えるような政策はあるでしょうか。

あずさ監査法人 阿部 博

あずさ監査法人 阿部 博

上田:

マインドセットを1つの政策という外的な要因で変えるのは難しいと思いますし、長期的な取組みになるかと思います。「この政策で動く」とまでは言えませんが、ディープテック・スタートアップについていえば、大きく成功した事例をたくさん作っていくことが重要だと思います。現在、数百億円レベルでイグジットしているケースが年間数件出てきていますが、より大きく、ユニコーンクラスでイグジットすることが増えてくる状況になれば、どうでしょうか。そうなれば、スタートアップにシード、アーリーの段階でジョインすれば、将来的にはより大きな収入が得られるかもしれないし、自身としてもビジネスをゼロから大きくする機会に関与できるかもしれないという期待感が醸成されると思います。そういう大きな成功事例を作っていくことで、ディープテック・スタートアップに自発的に参加したいと思ってもらうことが、1つの理想的な姿ではないかと思っています。

そうしたときに重要になるのは、個々のスタートアップを強くしていくという政策です。そのために、今のディープテック・スタートアップ支援事業を着実に実施し、ディープテック・スタートアップに人材が流入する機運を高めていくことが重要であると考えます。

Ⅱ「起業した経験から得られたも の」を広く共有する場と支援人 材の拡充

阿部:

シリコンバレーやベイエリアであれだけスタートアップが生まれるのは、失敗に対する恐れがなくて、成功したことに対するご褒美を見せられるからと言われています。これってすごく大事ですよね。たとえば、ある成功した起業家は故郷に戻り、スタートアップを立ち上げたい人に対するメンターをやっているそうです。このような起業家を支援する政策には、どのようなものがあるのでしょうか。

上田:

支援する人材の多くはコンサルティング会社やVC(Venture Capital 以下、「VC」という)、大企業で新規事業を手掛けた経験をお持ちの方、ご自身で起業されて会社を成長させたご経験のある方です。こうした方々により多くディープテック・スタートアップのエコシステムに関わっていただき、スタートアップの成長を支える環境を作ることが重要です。

そこで、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO) は、支援人材育成プログラム( Star tup Supporters Academy:SSA )を実施しています。こういったプログラムを通じて、起業経験のある方にスタートアップ・エコシステムに参加していただけないかと思っています。また、NEDOの人材発掘・起業家育成事業(NEDO Entrepreneurs Program: NEP )では、上場までされた起業家の方々にスーパーバイザーとして事業運営に関与していただいています。

阿部:

成功された方はほんの一握りであるのに対して、大学は北海道から九州までたくさんある。これでは需要と供給がまったく釣り合いません。そこで、「チャレンジしたけれどもうまくいかなかった」という起業経験のある方を活用するのはどうでしょうか。彼らは熱量が違いますから、1回や2 回失敗しても、次を狙います。失敗を前向きに捉えるマインドのある起業家を積極的に活用していくというわけです。

上田:

あり得ると思います。失敗にも良い失敗と悪い失敗があります。何らかの仮説に基づいてチャレンジした結果うまくいかなかったというのは良い失敗だと思いますし、そのプロセスから得られたことも無数にあるでしょう。その経験をより広く伝えていく、有効活用していくという環境づくりは必要だと思います。

図表1 ディープテック・エコシステムの「担い手(スタートアップ)」と「支え手」

図表1 ディープテック・エコシステムの「担い手(スタートアップ)」と「支え手」

出典:「 ディープテック・スタートアップ支援事業について」産業技術環境局

Ⅲ長期的なスタートアップ支援で産業構造を転換させ、経済成長 につなげる

阿部:

今こそスタートアップを起爆剤に、日本の経済成長を実現したいと思います。そういう意味では、スタートアップの支援は、実はもっと広い意味での産業の活性化ではないかと、私は思っています。

上田:

そうですね。スタートアップ支援という形で政策的にいろいろと考えていますけれども、本質的には産業構造の転換であり、新しいプレーヤーを作っていくということだと思っています。

スタートアップというレンズを通して考えると、既存のプレーヤーでもこれまでと違うものが見えてくることがあります。たとえば、事業会社では高収益のビジネスを1%でも2%でも効率化すれば利益が増えるわけですから、そこに経営資源を投入するのはきわめて合理的な判断です。しかし、スタートアップを作ることを軸に考えると、事業会社に蓄積されているリソース、たとえば研究開発をしたものの事業化できていない技術が一定数あるなかで、そういった技術をいかにビジネスにつなげていくか、という発想になってくると思います。そうした技術をベースにスタートアップが創出されていけば、産業全体として活性化するでしょうし、スタートアップを生み出した事業会社側も、よりオープンなものになっていくのではないでしょうか。

阿部:

経営資源の集中化は、米国の企業などがよくやっています。納得する反面、投資で成功するケースの多くは1つの領域に集中するのではなく、広く浅くやっています よね。

上田:

ポートフォリオの考え方ですね。ディープテックの場合、ものによっては技術シーズができてからビジネスに至るまで20 年、30年かかるものがあります。他方、VCは10 年、15年くらいで一旦クロージングしないといけない。そうなると、VCの考える間尺で一定のリターンが得られるものに集中するのは仕方ないのかもしれません。

それでは、開発に長期間かかる半導体や新素材系のような領域に資金が入りません。そうした領域にお金が回っていく仕組みや環境を作っていくことは、かなり重要なポイントだと思います。

対談

阿部:

私も、5年やそこらでディープテックが世に出るかと言ったら、出づらいと思います。資金もそうですが、人材もいない。たとえば、コロナウイルスに対するワクチンは日本では作れませんでした。長期的なビジョンが必要だと思います。

産業も人材も、長期で臨まないと育たないものです。産業を作るには、ものすごい時間とお金がかかりますから、そこから変えていく必要があります。それは一民間では無理です。ですから、政府や官公庁が旗を振ることが大事なのです。

上田:

スタート地点までの助走をより手厚くするというのも1つ重要なところかと思います。ディープテック・スタートアップは、ビジネスからやや遠い段階での資金調達で、バリュエーションが大きくなることがあります。そこでたとえば、最初の5 年間は補助金のようにバリュエーションがつかない形で、研究開発なり初期的な事業開発を資金的に支援すれば、発射台を高くしたうえで本格的にビジネスを大きくしていく段階で指数関数的な成長に向けた活動をしていけるようになります。

阿部:

発射台を高くするというのは、そうですね。SBIR(Small Business Innovation Research )を見たときには、「やっときたな」と思ったものです。米国の宇宙産業が伸びたのもSBIRがあったからです。ああいった政策は本当に必要だと思っていますし、期待しています。

上田:

そうした補助金についてはNEPもプレシードの資金調達前段階における資金援助という意味合いがあります。ただそれほど額は大きくありませんから、その段階でより大きな資金を得られる仕組みがあるとよいと思っています。

Ⅳ スタートアップの報酬体系が変われば、人材の流動性も高まっ ていく

阿部:

人材の獲得を考えるうえで、忘れてはいけないのは報酬です。いくらやりがいがあると言っても、報酬が低ければスタートアップに就職しようと思わないからです。特にストック・オプション制度が普及してから、スタートアップは伸びましたからね。

上田:

現場クラスの方々に事業会社からスタートアップに移動してもらうという観点で言えば、いかにスタートアップ側から支払えるお金が均衡してくるか、つまり事業会社に引けを取らない報酬をスタートアップ側が提示できることが重要となってきます。そのときには、ストック・オプションが強力な武器となり得ます。サラリーのベースが低かったとしても、将来的なリターンが期待できるからです。

ただ、そういうインセンティブで入られるような方々は、比較的リスク許容度が高い方で、メンバークラスの人材のなかでもイノベーターとかアーリーアダプターといった方々ではないと思います。そうではない方々も参画するような環境を作ろうとするならば、サラリーベースでの条件が均衡することも重要でしょう。

スタートアップ側が払える報酬を増やしていくということは、個々のスタートアップの経営を強くしていくことに他なりません。結局のところ、人材の流動化という意味でも、スタートアップ側が支払えるサラリーを均衡していく、あるいはもう少し高い報酬金額を提示できるような形を作っていくということになると思います。

阿部:

そうですね。たとえフローが減ってもストックが増えれば、リスク耐性になる。資産を持つということは、新しいものにチャレンジできることにつながるということなんですね。

正直言って、私はここからの5 年が勝負だと思っています。今、きちんとできるかどうかが、日本が沈んでいくのか、それともまた上っていくのかの分かれ目であると。そこで最後に、経済産業省がどこに向かって動いているのか、お聞かせいただけますか。

上田:

さきほどスタートアップというレンズで事業会社を見るというような話をしましたが、すでに儲けているビジネスをさらに強くしていくことはきわめて重要です。それを前提として、新しいビジネスを作っていくことが当然に行われることが、世の中の「普通」になることが理想的だと思います。

そのために、たとえば大学を卒業してある程度経験を積んだうえで起業する、事業会社で経験を積んだ方がご自身の技術シードをもとに起業する、あるいは海外で経験を積んだ方が日本でEIR的に活動して起業するなど、事業の作られていく過程には関係なく、それがごく自然に受け入れられるような形にしていくことが大事です。その結果、数多くのビジネスができる。成功するのはそのなかの数パーセントかもしれませんが、成功したものは非常に大きな形で実になっていくでしょうし、失敗したとしても、その経験そのものが、ご自身に加え、あとに続くスタートアップにとって貴重なものとなります。

そのために我々は、ディープテック・スタートアップ支援という文脈で個々のスタートアップを強くしていくこと、そのために足下で行っているさまざまな事業に加え、ディープテック・スタートアップの事業拡大フェーズにおける支援など、これからも政策的にしっかりとさまざまな取組みをしていこうと思っています。

対談

阿部:

先日、国際通貨基金の予測では、日本のGDPが4 位に転落する見通しが発表されましたが、このままでは日本は貧しい国になってしまうでしょう。戦後日本の復興にベンチャーブームが大きな役割を果たしたように、スタートアップ育成を国策としてやっていくことが、次の30年後の日本を作る大事なポイントになるのではないかと思います。本日はありがとうございました。

連載企画「スタートアップ×人材」

「スタートアップ×人材」シリーズは、官公庁、スタートアップ企業、アカデミアから有識者をお招きし、プロフェッショナル人材領域にフォーカスしてご意見を伺う短期集中連載です。

第2回は、KPMG Insight2024年3月号にて、株式会社M&A総合ホールディングス 取締役CFO 荻野 光 氏(あずさ監査法人OB) とあずさ監査法人 企業成長支援本部 小川 紀久子中村 佳史にて「スタートアップでの人材採用、育成」をテーマに対談を予定しています。

インタビュアー紹介

阿部 博
あずさ監査法人 常務執行理事 企業成長支援本部 インキュベーション部長 パートナー

監査法人に入社して以来、主に金融商品取引法監査・会社法監査をはじめ、株式公開支援業務、デューデリジェンス業務などに従事。現在は監査業務の他に、企業成長支援本部 インキュベーション部長として大学発ベンチャーへのサポートや、オープンイノベーションのイベントを推進。また、KPMGジャパンの活動としてプライベートエンタープライズセクター スタートアップ統轄を担当し、スタートアップの発掘・育成支援に従事している。